FASHION AS MUSIC STORIES #4
ロックンロールの勝負服としてのスーツ
text: Masaki Uchida
それは1984年後半、ある夜のアムステルダムでの出来事だった。ザ・ローリング・ストーンズのボーカルであるミック・ジャガーは、ギタリストのキース・リチャーズと共に街へ繰り出した。
朝方、ひどく酔ったミックはキースの制止も聞かずにドラマーのチャーリー・ワッツの部屋へ電話をかけてこう言った。「"俺のドラマー"はどこだぁ?」。すると電話から約20分後、チャーリーは髭を剃り、タイを締め、サヴィル・ロー仕立てのスーツを着た姿でミックの部屋に現れると、彼に強烈な右フックをお見舞いしたのだった。
10代の頃、雑誌でこのエピソードを初めて読んだ時は「カッコいいなあ」と能天気に感動していたものだったが、大人になってから反芻すると、自らが受けた侮辱に対してわざわざ自分のスタイルを固めてから異を唱えたチャーリーの流儀にあらためて痺れてしまった。
ロックが本格的に世界中を席巻したのは、60年代初頭、アメリカで産声を上げたロックンロール、ブルース、R&Bを、前述のストーンズやザ・ビートルズに代表されるイギリスのミュージシャンたちが独自の解釈でカバーして、早々とオリジナルの音楽へと昇華させたことに端を発している。ビートルズは4人全員でお揃いのベノ・ドーン・スーツを着ることでアイドル感を演出した。後発のデビューだったストーンズはダークなテーラード・ジャケットを5人バラバラに着てビートルズとは真逆な不良のイメージを前面に押し出した。ミュージック・シーンにおいて自らの姿勢を明確に、ポップに、コマーシャルに打ち出す役目をファッションが担い始めたのもこの頃だった。
他にテーラードと言えばザ・ジャムやザ・スペシャルズあたりか。前者はモッズ、後者はスカ。それぞれ自らのアティテュードをファッションで表していた。タキシードがよく似合ったブライアン・フェリー、MTV誕生と共に一世を風靡したジャパンやデュラン・デュランといったニューロマンティック勢、美女たちをはべらせたミュージック・ビデオで話題を呼んだロバート・パーマー、キャリアの途中からやたらと燻し銀なスタイルへと変貌を遂げたエリック・クラプトンも思い出されるが、誰よりデヴィッド・ボウイを忘れてはならない。
カメレオンのように変貌するキャラクターとサウンドに合わせたボウイのファッションにはスーツ姿も多かった。それらはイタリアン、ブリティッシュ、コンテンポラリー、そしてクラシカルな20年代、アメリカとジャズを想起させる50年代に、果ては近未来を想起させるフォルムまで、鋭敏なセンスと緻密な計算によって様々なスタイルが使い分けられていた。2016年、逝去の数日前に撮影された最後のアーティスト写真の中のボウイは、<トム ブラウン>のスーツとハットを着けた姿で大きく笑っていた。ダンディなまま宇宙へと還っていったスターマンの雄姿は多くのファンの涙を誘った。
話がイギリスに偏りがちなのでアメリカの伊達男たちにも登場を願おう。日本独自のAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)というカテゴリーで人気を博したボズ・スキャッグスの「ミドル・マン」やドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」は肝心の音楽もさることながら、タイが映えるダンディズムなアルバムジャケットの傑作だ。近年では先ごろ新曲をリリースしたばかりのジャスティン・ティンバーレイクやメイヤー・ホーソーンがスーツ&タイスタイルの代表格と言えるだろう。
気恥ずかしい告白だが、筆者は時折、ワードローブを見つめながら、どちらかといえば楽器が、もしくはマイクが似合うアイテムは? 組み合わせは? と考えながらアイテムを選ぶことがある。タイの模様やシャツの色ひとつでもいい。右フックには用がなくとも、不思議と気持ちが整い、出掛ける足取りが軽くなるのである。
※参考文献:「キース・リチャーズ自伝 ライフ」(棚橋志行訳。サンクチュアリパプリッシング刊)
PROFILE
ライター、編集者、ディレクター
内田正樹
雑誌『SWITCH』編集長を経てフリーランスに。これまでに様々なメディアにおいて数々の国内外のアーティストやデザイナーのインタビューを担当。また公演カタログやCDブックレット、ファッションページのエディトリアルやコレクションショーのコピーライティング、コラムなども手がけている。編著書に『椎名林檎 音楽家のカルテ』ほか。