HISTORY
WHERE WE CAME FROM
メンズ、ウィメンズのウェアやアクセサリー、シューズを中心に、ベビーギフトやブライダルギフト、テーブルウェアやステーショナリーまで幅広いアイテムを取り揃えています。品揃えの豊富さは百貨店にも匹敵するほどですが、商品一点一点はどれも「バーニーズテイスト」すなわちバーニーズ ニューヨークらしいものであるかを基準にセレクトされており、日本の百貨店やセレクトショップとは一線を画する世界有数のスペシャリティストアとして知られています。
商品は、バーニーズ ニューヨークのオリジナルブランドとヨーロッパや米国、日本などのデザイナーブランドにより構成されています。また商品ばかりでなく、店舗やディスプレイ、接客サービス、コミュニケーションが一体となって醸しだす高級で洗練された独特な雰囲気が、他にはない新鮮な発見とくつろいだ心地よい時間を提供し、大人の男性と女性が共にショッピングを楽しめる空間をつくりだしています。特に接客サービスについては、自宅にお客様をお招きした時と同様、ハートフルで洗練されたおもてなしを心掛けています。
HISTORY OF
BARNEYS NEW YORK
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1920年代〜
バーニー・プレスマン、マンハッタン17丁目にて創業
バーニーズ ニューヨークは、1923年マンハッタンの7番街17丁目にバーニー・プレスマンによって創業されました。創業にあたりバーニーは、店の家賃と40着のスーツの仕入代金として必要な500ドルを得るために、妻のすすめで彼女の結婚指輪を質入れしたという有名な逸話が残っています。バーニー・プレスマンのリーダーシップの下で、店は小さな門構えの店から規模・品揃えの面で大きく発展していきました。ディテールやサービスにも特別なこだわりを持つことで店を築き上げ、その定評ある姿勢は現在も保ち続けています。また、ホリデーシーズンには何百人もの貧しい子供たちにコートをプレゼントしたなど、バーニーにまつわる様々なエピソードが語り継がれています。
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1960年代〜
スペシャリティストアへの飛躍
この頃バーニー・プレスマンは神業的なマーケティング力を発揮します。ある時、当時のスーパーモデル的存在であったパンナム航空のスチュワーデスたちに店でカプチーノを売るサービスをさせました。このカプチーノの売上は子供のためのチャリティ事業に寄付され、バーニーの読み通り、カプチーノを買った顧客たちは必ずスーツを買っていったそうです。バーニーにまつわる逸話はどれもある種の豪胆さが感じられ、彼の愛すべきキャラクター性が溢れ出ています。また、1960年代後半、バーニーの息子であるフレッド・プレスマンとその家族により、バーニーズ ニューヨークは品揃えからサービスまで、世界でも有数のスペシャリティストアへと転換しはじめました。店は高級志向となり、<ジバンシィ>、<ピエール カルダン>などデザイナーブランドを男性顧客に紹介しはじめるようになります。
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1970年代〜
ジョルジオ アルマーニを初めてアメリカに導入したのは
バーニーズ ニューヨーク1976年には、革新的な才能を持つ新人デザイナーを発掘し育て続けることを標榜し、米国において初めて<ジョルジオ アルマーニ>を紹介。これをきっかけに世界最大のメンズストアとなったバーニーズ ニューヨークは、ニューヨークのファッションカルチャーの発信源としての存在を確固なものとするため、同年さらにウィメンズ部門をスタートさせました。また、店舗は衣料品やアクセサリーの販売スペースだけでなく、レストランやチェルシー パッセージまで揃える規模に成長しました。このユニークなギフトショップ=チェルシー パッセージは、フレッドの妻のフィリス・プレスマンが手掛けたもので、現在でも選りすぐりのテーブルウェアおよびステーショナリー等を取り扱っています。新たな才能を発掘し、育てることは衣料品やアクセサリーのみならずあらゆるカテゴリーにおいて、バーニーズ ニューヨークで現在でも継続しているスピリットです。
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1980年代〜
バーニーズ アメリカ設立とバーニーズ ニューヨーク
1980年代になると、フレッドの息子であるジーンとボブが店を引き継ぎはじめました。彼らは、世界中の店のオーニングに祖父の名「バーニー」を掲げるというマスタープランの第一歩として、マンハッタンのダウンタウンの17丁目にあるメンズ店の隣に、ピーター・マリノとアンドレ・プットマンによるデザインの華やかな魅力たっぷりのウィメンズ館をオープンしました。また、拡張戦略の一環として、ウィンドウ・ドレッサーであるサイモン・ドゥーナンを雇用したのもこの頃です。彼は芸術と商業の関係性に興味を持ち、アーティストにディスプレイ用の装飾設備の作製や、個人の作品の展示を依頼しました。このことによって、バーニーズ ニューヨークは80年代アートブームの中心地となりました。そして1989年、プレスマン家は新会社(バーニーズ アメリカ)を設立。それまでの「バーニーズ」という店名をバーニーズ ニューヨークに変更(ロゴも同時に変更)し、全米に店舗展開をはじめました。これらの新しい店舗でも、従来のバーニーズ ニューヨークと同じクオリティとサービスを保ち、メンズおよびウィメンズの衣料品を展開したのです。
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1990年代〜
バーニーズ ニューヨークアップタウンへ、日本、LAへ
1989年にバーニーズ ニューヨークはバーニーズ ジャパンを設立。1990年11月にはバーニーズ ニューヨーク日本1号店を新宿にオープンしました。4万平方フィートの店舗面積を有する新宿店は、日本最大規模の米国発スペシャリティストアの初上陸として注目を集めました。また、1993年8月には、横浜にバーニーズ ニューヨークの日本2号店がオープン。米国では1993年秋、マディソン街61丁目に、店の約半分が紳士服、残りの半分が婦人服とアクセサリー、およびチェルシー パッセージで構成された、23万平方フィートの店舗(マディソン店)をオープンしました。1994年3月にはマディソン店と同様の品揃えのビバリーヒルズ店をオープン。また、1993年より新たな販売チャネルとして、ニューヨーク州ハリマンのウッドベリーコモンに最初のアウトレットがオープン。のちに10店舗以上のアウトレットが次々と開店することとなりました。ほかにも、マンハッタンで伝統行事となっていたウェアハウスセール(1970年にスタート)は1995年より各地で展開され、オープニングパーティーでの売上の一部は、毎年各都市のチャリティに寄付されていました。
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2000年代〜
受け継がれる理念
バーニーズ ニューヨークは現在、日本に11店舗(アウトレット5店舗含む)を有しています。日本においては、2004年に11年ぶりの旗艦店として銀座店がオープン。明治時代に福沢諭吉により創設された日本最古の社交倶楽部「交詢社」の正面玄関部分を保存した交詢ビルディングの中核店舗として、銀座の新しいランドマークとなりました。2009年にオンラインストア、2010年3月には関西初の神戸店、2011年9月に九州初の福岡店、2016年9月に六本木店、2021年8月に西武渋谷店をオープンしています。
バーニーズ ニューヨークの理念は、この一言に集約されます。
「Select, don’t settle. ⎯ 選べよ、固執するな。」
安閑と落ち着くことなく、常に新しいものを探し、選びつづけることの意。この言葉はフレッド・プレスマンが使っていた言葉で、お客様に常に新しいファッションでの冒険を提案するメッセージであるとともに、社員に対する教訓でもあります。今日でもバーニーズ ニューヨークでは、創立当時からの理念であるクオリティとサービスの基準を維持しつづけています。SELECT,
DON’T SETTLE選べよ、固執するな。
BARNEYS LOGO
プレスマン夫妻と広告アドバイザーのジャック・バーンは、建築家のピーター・マリノ氏、デザイナーのアンドレ・プットマン氏、ジャン=ポール・ボージャール氏、北岡節雄氏を擁する一流の建築事務所「ベイヤー・ブリンダー・ベル」を起用することに加えて、バーニーズ ニューヨークのロゴ自体を一新する必要があると考えました。白羽の矢を当てたのは20世紀を代表するグラフィックデザイナー、アイヴァン・シャーメイエフ氏とトム・ガイスマー氏。彼らが手がけた「Mobil」、「NBC」、「PBS」、「National Geograp hic」、「Chase Bank」などのロゴは、世界で最も長く愛されているシンボルのひとつです。
二人はバーニーズ ニューヨークのために、新しい市場、新しい時代、そして全く新しい精神状態をもたらすようなデザインを手がけました。このロゴは、現在でもバーニーズ ニューヨークのショッピングバッグをはじめ日よけ、看板や各種サインなどさまざまな場所に使われています。このデザインに変わる過程で、バーニーズはアポストロフィを取り去りました。