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HISTORY OF BARNEYS NEW YORK, バーニーズ ニューヨーク80年の歩み 1920〜2000

 

『バーニー・プレスマン、マンハッタン17丁目にて創業』1920年代〜
 バーニーズ ニューヨークは、1923年マンハッタンの7番街17丁目にバーニー・プレスマンによって創業されました。創業にあたりバーニーは、店の家賃と40着のスーツの仕入代金として必要な500ドルを得るために、妻の勧めで彼女の結婚指輪を質入したという有名な逸話が残っています。創業当時、バーニーズ ニューヨークはクオリティの高いメンズとボーイズの衣料品をディスカウント価格で提供する店でした。バーニー・プレスマンのリーダーシップの下で、店は小さな門構えの店から規模・品揃えの面で大きく発展していきました。ディテールやサービスにも特別なこだわりを持つことで店を築き上げ、その定評ある姿勢は現在も保ち続けています。また、バーニー・プレスマンにまつわる逸話は数多く、ミッドタウンのビアホールへ出かけて全ての客にビールをおごり、よっぱらったアイルランド人たちを彼の店へバスで運び、何かを買うまで帰らせなかったとか、クリスマスには何百人もの貧しい子供たちにコートをプレゼントしたなど、様々なエピソードが語り継がれています。

『スペシャリティストアへの飛躍』1960年代〜
 この頃バーニー・プレスマンは神業的なマーケティング力を発揮します。ある時、当時のスーパーモデル的存在であったパンナム航空のスチュワーデスたちに店でカプチーノを売るサービスをさせました。男性客たちは、美しい女たちを眺めカプチーノを飲むためにバーニーズに集まってきました。このカプチーノの売り上げは子供のための慈善事業に寄付され、バーニーの計算通り、それらの男たちは必ずスーツを買っていったそうです。バーニーにまつわる逸話はどれもある種の豪胆さが感じられ、彼の愛すべきキャラクター性が溢れ出ています。また、1960年代後半、バーニーの息子であるフレッド・プレスマンとその家族により、バーニーズ ニューヨークはディスカウントストアからスペシャリティストアへと転換し始めました。店は高級志向となり、ジバンシィ、カルダンなどデザイナーブランドを男性顧客に紹介し始めるようになりました。

『ジョルジオ・アルマーニを初めてアメリカに導入したのはバーニーズ ニューヨーク』1970年代〜
 1976年には、革新的な才能を持つ新人デザイナーを発掘し育て続けることを標榜し、米国において初めてジョルジオ・アルマーニを紹介。アルマーニの導入によって世界最大のメンズストアとなったバーニーズ ニューヨークは、ニューヨークのファッションカルチャーの発信源としての存在を確固なものとするため、同年さらにウィメンズ部門をスタートさせました。また、店舗は衣料品やアクセサリーの販売スペースだけでなく、レストランやチェルシー パッセージまで揃える規模に成長しました。このユニークなギフトショップ=チェルシー パッセージは、フレッドの妻のフィリス・プレスマンが手掛けたもので、現在でも選りすぐりの陶器、ガラス製品、銀食器およびステーショナリー等を取り扱っています。

『バーニーズ アメリカ設立とバーニーズ ニューヨーク』1980年代〜
 1980年代になると、フレッドの息子であるジーンとボブが店を引き継ぎはじめました。彼らは、世界中の店の天幕に祖父の名「バーニー」を掲げるというマスタープランの第一歩として、マンハッタンのダウンタウンの17丁目にあるメンズ店の隣に、ピーター・マリノとアンドレ・プットマンのデザインの華やかな魅力たっぷりのウィメンズ館をオープンしました。また、拡張戦略の一環として、ウィンドウ・ドレッサーであるサイモン・ドゥーナンを雇用したのもこの頃です。彼は芸術と商業の関係性に興味を持ち、アーティストにディスプレイ用の装飾設備の作成や、個人の作品の貸し出しを依頼しました。このことによって、バーニーズ ニューヨークは80年代アートブームの本営地となりました。そして1989年、プレスマン家は新会社(バーニーズ アメリカ)を設立。それまでの「バーニーズ」という店名をバーニーズ ニューヨークに変更(ロゴも同時に変更)し、全米に店舗展開を始めました。これらの新しい店舗でも、従来のバーニーズ ニューヨークと同じクオリティとサービスを保ち、メンズおよびウィメンズの衣料品を展開したのです。

『バーニーズ ニューヨークアップタウンへ、日本、LAへ』1990年前半〜
 1989年にバーニーズ ニューヨークは日本最大の小売業のひとつである伊勢丹と独占提携関係を結び、1990年11月にバーニーズ ニューヨーク日本1号店が新宿にオープン。4万平方フィートの店舗面積を有する新宿店は、米国の小売店として日本最大規模の専門店として注目されました。また、1993年8月には、横浜にバーニーズ ニューヨークの日本2号店がオープンしました。1993年秋、マジソン街61丁目に、店の約半分が紳士服、残りの半分が婦人服とアクセサリー、およびチェルシー パッセージとなっている、23万平方フィートの店舗(マジソン店)をオープンしました。1994年3月にはマジソン店と同様の品揃えのビバリーヒルズ店をオープン。11万平方フィートの店舗はロデオドライブから1ブロック西のウィルシャーブルバードに面しています。また、1993年にディスカウントビジネスを再開し、ニューヨーク州ハリマンのウッドベリーコモンに最初のアウトレットがオープン。この店舗の成功により、のちに10店舗以上のアウトレットが次々と開店することとなりました。

『新業態 バーニーズ CO-OP』1990年後半〜
 1999年、常にヒップなファッションのCO-OP(コーアップ=コンテンポラリースポーツウェア)をマジソン店の7階に加え8階にも増床、2.1万平方フィートという巨大なスペースに拡大されました。さらに、CO-OPはウェアハウスセールが開催されるチェルシー地区18丁目に実験店舗として独立。なお、ウェアハウスセールは今でも同じ場所で開催されており、CO-OPの商品はこのセールのために、年2回場所を空け渡します。マンハッタンで伝統行事となったウェアハウスセール(1970年にスタート)は1995年より各地でも展開され、オープニングパーティでの売上の一部は、毎年各都市のチャリティに寄付されています。

『受け継がれる理念』2000年〜
 バーニーズ ニューヨークは現在、米国に29店舗(CO-OP含める)、日本に3店舗有しています。日本3号店は銀座に2004年10月オープンしました。
バーニーズ ニューヨークの理念は、この一言に集約されます。
「Select, don't settle.—選べよ、固執するな。」
安閑と落ち着くことなく、常に新しいものを探し、選びつづけることの意。この言葉はフレッド・プレスマンが使っていた言葉で、お客様に常に新しいファッションでの冒険を提案するメッセージであるとともに、社員に対する教訓でもあります。
 今日でもバーニーズ ニューヨークでは、創立当時からの理念であるクオリティとサービスの基準を維持しつづけています。

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